book picnic 鳥羽さんお話会 無事に終わりました

振り返りが遅くなりましたが、book picnic きてくださった方、出店してくださったみなさん、興味を持ってくださった方々、 改めてありがとうございました。

当初予定していた運営の仕方が諸事情あってできなくなり、また当日は結構な雨。 想定とはまったくことなるレイアウトになり、出展者の皆さん、やりづらい部分も多かったと思いますが、やわらかく対応してくださって本当に感謝しています。

場を開くことで少しずつ魅力的な本屋さんと出合うことができ、こうしたときに駆けつけてくださるのは なんとも言い得ない心強さがあり、有り体にいうと財産だなあとしみじみと感じました。

「人数は少ないながらも熱がありました」と言ってくださる方もおり、出店者、来場者ともに、楽しい時間を過ごせていたら嬉しいな、と都合よく解釈しています。

鳥羽さんのお話について みなさん鳥羽さんのお話にグッと引き込まれている(ように見えた)姿が印象的でした。 紀伊民報で引き寄せられてきた方やいままさに親との接し方に悩む若者の参加などもあって、鳥羽さんから「お客さんを仕込んだのでは?」と疑われるほど。それほど、鳥羽さんにとっても濃い時間になったのではないかな、と推察しています。 改めて、鳥羽さんへ向けては、 福岡という遠い地をもろともせず、 和歌山までお越しくださり、またこれまでの経験を基にした貴重なお話を展開してくださり、 この場を借りてお礼申し上げます。 ありがとうございました。

私自身もとても楽しく鳥羽さんのお話を伺うことができました。本を読んで著者に話を伺うなどという役割をまさか自分が担う日が来るとは思っておらず、恐縮のきわみであり、聞き手として役不足は感じつつも、不思議なほど鳥羽さんのお話を楽しむことができました。 自分なりの分析は、私のなかに子どもの時の私はまだいて、というか共存していて、何層にも重なった自分がある。(それはみんな同じで)その今も存在する自分と出合いなおし、ある意味での救済というか「あの時はそうだったのか」とか「ひねくれていた自分への救いの手」が随所で差し伸べられていた気がしたからだろうと思います。

親子の関係性は人と人との関係性のメタファーである、 鳥羽さんの言葉より

この場合の人と人は、自分と自分も当然その範疇で、そのまま他者との関係性にも深く結びついているのだということが、深いところで腑に落ちたからだろうと推測しています。

写真を提供くださったのは、wheelactionbookstore 西村豪さん。

今回の鳥羽さんのお話は、カップラーメンやお菓子、種をバックに聞くことに意味があると思っていました。雑多さ、パッケージだけに拘らない、鳥羽さんのおっしゃる「出合いを転がしておく」そんな意図を汲み取ってくださったかのような写真をありがとうございます。

こうした企画はらくだ舎の場にとどまらず これからも続けていきたいなあとぼんやり思っています。

らくだ舎として企画した催しはたぶん初めてで行き届かない部分も多くあったと思うのですが、人が行き交うことでの「運動」を感じる1日でした。

お金は運動である 整体対話読本「お金の話」

という言葉が最近とてもしっくりときているのですが、この催しはエネルギーの循環がうまくなされたような気がしています・

イベントの企画は、これまでの経験上、終わった後、ほっと一息というよりもどっと疲れが、、、という場合も少なくないのですが、今回はまったくそれを感じなくて、自分自身の運動のあり方を学習しつつあるのかもしれない。

そして、来てくださる方、出店者の方、気を遣いすぎずにその場に共存するという形がわかるようになってきたのかもしれません。

あえて、不便な山里でやる意味はなんだろう?
どんな場合でもこの問いはついて回るのですが、
ここでしかできないことを恐れ多くも考えながら
わざわざ行くことで生まれる価値を
追っていきたいと思っています。

また、今回えんがわの並河さんと水面下で少しだけ協業をしていました。 若い方はかなりえんがわに集まったようで、その人数は、そのままえんがわさんがあってこその成果ですが、 場所場所で役割や特徴を変えながら、協力して何かを招聘していく形は可能性があるなあと感じました。

複数の場所で共催することで、「旅する催し」とでもいうような形を仕組みとして整備していくと、もっと広がりがあるのかもしれないと思います。(その場合、さらにここでやることの意味を突きつけられるわけですが)

今後、私たちが別の場所に出ていくこと、私たちの地域に人をお招きして接点を作ること、練りながら場の運営をしていきたいと思います。

世の中の情報にふれていると、「本当にそんなことが起こるの?」ということが現実のものとなり、分断はますます広がるばかりのように思います。小さな場所から、分断ではなく、繋ぐ言葉を生み出していけたら。

もしも、 幅広く創作活動をされている方で、和歌山の山のなかで話してみたいという奇特な方がいらっしゃれば、ぜひご連絡をいただければと思います。

改めて、全てのみなさまへ向けて、ありがとうございました。

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