らくだ舎喫茶室、そしてこのらくだ舎のネットショップでも販売している両谷園の色川茶についてのお話です。
周辺にはその名を知られている色川茶ですが、全国的な知名度はほとんどないことと思います。そもそも、和歌山県における茶の生産量もごくわずかなため、
和歌山県でお茶が生産されていることそのものが、あまり知られていないことと思います。
しかし、色川における茶栽培の歴史は古く、江戸時代以前にまで遡ります。
地形急峻で雨の多い那智勝浦町色川地区(旧色川村)は、日照が短く、耕地が細かく土はやせ、農業に向かない土地。しかし、温暖多湿で昼夜の寒暖差が大きく、霧の発生しやすい気候は茶栽培には適していました。製茶すれば保存がきき輸送もしやすいため、山間地の産業作物としても最適。そのため色川村では、江戸時代以前から家々の庭先や田畑のあぜや石垣で茶が栽培され、手摘み手揉みで製茶されていたといいます。色川茶は、熊野詣の旅人たちにも茶屋で供され、親しまれていたそうです。
近代の色川における茶業は戦後の復興期に県から苗木の無償配布を受けて始まり、昭和31年には製茶工場を設立、翌年に色川茶業組合が発足。農業改良普及員・岸本純一氏の尽力 もあり、茶業は色川村の柱となる産業として発展しました。
しかし時代は移り変わり、茶の生産過剰や生産者の高齢化・後継者不足により色川茶業も厳しい時代を迎えます。そんななか、「安心して飲んでもらえるお茶をつくりた い」という想いを抱いた農家たちによって 1981 年に設立された無農薬専門の茶工場が「両谷園」です。 農薬をいっさい使わずに育てた色川産の茶葉だけを原料に、栽培から製茶、袋詰めに至るまで、すべて自分たちの手で行っています。設立とほぼ同時期から始 まった移住者の受け入れと相まって、今では移住者たちが茶園・茶工場を引き継いでいます。
両谷園の茶業は、「百の仕事を持つ」という意味での百姓仕事のひとつです。米を育て野菜をつくり、山を手入れし、梅をもいで梅干しをつくる……そんな日々の営みのなかに、ごく自然にお茶づくりが組み込まれています。山里の素朴な風土から生み出された、毎日の暮らしに寄り添う両谷園のお茶。飲めばきっと、あたたかな山里の暮らしを感じていただけるはずです。