障害を持つ方々と一緒に、汗かいて。「感謝することばかりです」

2年前から、vege like(ベジライク)安田さんは新しい取り組みを始めた。それは「農福連携」。
人手不足に悩む農業と、生きがい、働きがいを求める障害を持つ方達が結びつくことで、お互いの課題を解決できるのではないか。そんな考え方のもと、日本全国で取り組みが進んでいる。安田さんはある生産者団体の紹介で、障害を持つ方々の作業施設「エコ工房四季」の職員と出会い、同施設利用者との協働を模索してきた。


vege like 安田裕志さん。今年はとても良い出来とのこと

「ひとつは、種しょうがの栽培を担ってもらうこと。初年度は、やっぱり無農薬での栽培は難しくて、天候不順もあって不作だったけど、今年は順調なんです。400kgくらいになるんちゃうかな」と安田さん。これは、安田さんが植え付ける種しょうがの半分ほどの量になる。安田さんはこれまで、種しょうがはほぼ全量を高知県の会社から購入していた。

「エコさんはお隣の古座川町にあるので、目の届くところで育ててもらえるのは安心。高知から買うと、高知県の天候によって不作だったり、不作だと金額が跳ね上がったりする怖さがあるんです。エコさんには、価格も一定金額でお願いしているので本当にありがたい」のだそう。一方、エコ工房側からすると、1だったしょうがを5〜6倍に増やし、それを必ず買い取ってもらえるのは大きなメリットになる。指導もしてもらえる。

色川にある安田さんの畑作業の手伝いもお願いしている。今年は、7月に畑に敷き藁をする作業に来てもらった。

「1反の畑に敷き藁をするのって結構大変なんです。梅雨が明けたらすぐに敷いて、土の乾燥を抑えたいところなんですが、一人だと例年7月下旬までかかってしまうこともありました。今年はエコ工房の利用者さん30人くらいが来てくれて、2日で全部敷いてもらって、すごく助かりました」


利用者のみなさんが敷いた敷き藁

色川に移住して私自身が感じていることだが、障害を持っている方と触れ合う機会は、東京にいた頃に比べても少ないように思う。色川には障害を持つ方の施設はないし、町でも車移動が基本となる私などは、そういった方とすれ違うことすらほとんどないのだ。安田さんは、彼らとのコミュニケーションの難しさや、仕事の一端を任せることへの不安などはなかったのだろうか。今、率直にどんなことを思っているのだろうか。

「敷き藁の作業も、そりゃあ、パキパキっと進められる人ばかりじゃないですよ。ちょっと粗っぽい仕事の人もいたり、普段から農業してるわけじゃないから体調を気遣う必要もあります。でも、みんなすごく真面目でサボろうなんてしない。一生懸命やろうとしてくれるのがわかるんです。そういう人たちと一緒に仕事ができるのは、すごく気持ちがいいんです。みんな、なんかできないかなって、大変な農作業を助けてあげたいと思ってくれていて、こちらは普通に感謝することばかりです」(安田さん)

エコ工房の利用者さんたちは、古座川町の施設から、那智勝浦町色川地区の畑まで約40分、バスに揺られてやってくる。「みんなここに来るのが楽しくてしゃあないみたい。畑に来る担当、取り合いになるらしいんです」と安田さん。障害の程度や内容にもよるが、普段は自宅と施設の往復しかしていない方も多いのだという。そういった方にとって、車窓から見える風景は格別のもの。彼らにとって、遠出できて、自然の中で働いて、誰かの力になることができるのはとても嬉しいことなのだ。

11月末には、畑のしょうがを全て掘り取る時にも手伝いをお願いする予定とのこと。なんでも手伝いたい、と言われているので、しょうが以外の作物も、徐々に手伝ってもらえるようにと思っているそうだ。お互いの努力と対話の上のことだと思うけれど、農業と福祉のとても幸せな出合いが、この畑で起きたんだ。そして、このおいしい新しょうがが実った。胸がいっぱいになって、じんわり、あたたかくなった。

暮らしとともに、そこにある。両谷園の色川茶

茶畑

らくだ舎喫茶室、そしてこのらくだ舎のネットショップでも販売している両谷園の色川茶についてのお話です。

周辺にはその名を知られている色川茶ですが、全国的な知名度はほとんどないことと思います。そもそも、和歌山県における茶の生産量もごくわずかなため、
和歌山県でお茶が生産されていることそのものが、あまり知られていないことと思います。

しかし、色川における茶栽培の歴史は古く、江戸時代以前にまで遡ります。

地形急峻で雨の多い那智勝浦町色川地区(旧色川村)は、日照が短く、耕地が細かく土はやせ、農業に向かない土地。しかし、温暖多湿で昼夜の寒暖差が大きく、霧の発生しやすい気候は茶栽培には適していました。製茶すれば保存がきき輸送もしやすいため、山間地の産業作物としても最適。そのため色川村では、江戸時代以前から家々の庭先や田畑のあぜや石垣で茶が栽培され、手摘み手揉みで製茶されていたといいます。色川茶は、熊野詣の旅人たちにも茶屋で供され、親しまれていたそうです。

近代の色川における茶業は戦後の復興期に県から苗木の無償配布を受けて始まり、昭和31年には製茶工場を設立、翌年に色川茶業組合が発足。農業改良普及員・岸本純一氏の尽力 もあり、茶業は色川村の柱となる産業として発展しました。

しかし時代は移り変わり、茶の生産過剰や生産者の高齢化・後継者不足により色川茶業も厳しい時代を迎えます。そんななか、「安心して飲んでもらえるお茶をつくりた い」という想いを抱いた農家たちによって 1981 年に設立された無農薬専門の茶工場が「両谷園」です。 農薬をいっさい使わずに育てた色川産の茶葉だけを原料に、栽培から製茶、袋詰めに至るまで、すべて自分たちの手で行っています。設立とほぼ同時期から始 まった移住者の受け入れと相まって、今では移住者たちが茶園・茶工場を引き継いでいます。

両谷園の茶業は、「百の仕事を持つ」という意味での百姓仕事のひとつです。米を育て野菜をつくり、山を手入れし、梅をもいで梅干しをつくる……そんな日々の営みのなかに、ごく自然にお茶づくりが組み込まれています。山里の素朴な風土から生み出された、毎日の暮らしに寄り添う両谷園のお茶。飲めばきっと、あたたかな山里の暮らしを感じていただけるはずです。